2014年05月31日

科学の営みについて

※ 長いです。すみませんm(_ _)m

佐々木です。話題性が大きすぎるため、あまり触れるつもりはなかったのですが、ネタもないし、そろそろ大勢が決してきた感じもするので、STAP細胞にまつわる出来事を通じて、科学の世界とはどのような場所なのか、大学院生という立場から見えることを書いてみようと思います。

ものづくりとはあまり関係ありませんが、まぁ、たまには僕らの本業も、ということで…。

まず、研究者のするべきこと、アウトプットから確認しましょう。これは言うまでもなく、雑誌に論文を投稿することです。今回話題となっているNatureは、自然科学ではとても有名な雑誌なので、ご存知の方も多いと思います。ただ、論文というものは、投稿して終わり、ではありません。自然科学であれば、論文を雑誌に投稿し、色々な人に読んでもらって、再現実験や補足実験を行い、最終的にその論文の真偽を確かめてもらうことが、ゴール地点です。この「再現すること」と「その結果に基づいて主張の真偽を確かめること」というのが、科学研究の本質的な作業だと、僕は思っています(僕はその作業を行えるようになるための訓練途中ですが)。

今回の投稿した論文の大きな問題点は、この本質的な作業が行えない点にあります。具体的には、(1)投稿した論文の図に改竄の跡があること、そして、(2)論文通りの手順を踏んでも、STAP細胞が再現できない上、そもそもコピペの痕跡があること、の2点です。

まず、1つ目の話から見ていきましょう。論文とは、こういう仮説に基づき、このような手順を踏んだら、こういう現象が観察されました、という、ある意味では事業の報告書のようなものです。例えば、僕たちが、ものラボの仕事を報告するような報告書を書いたとしましょう。この報告書は正式なもので、この記述によって今後のものラボのプログラムが決まっていくと考えます(例えば、ですよ)。さて、この報告書に載せる写真をセレクトするとき、ネットに挙げられているような、全く関係ない子どもたちの写真を選び、その脚注に「ワークショップの作業風景」と、僕が銘打ったらどうでしょう?そうすると、子どもたちが行っていた作業は全く別だったとしても、あたかもその写真に写っている子どもの作業が、ものラボで行われたワークショップの作業風景のように見えてしまうでしょう。これ、正式な報告書としてはアウトですよね。仮に本文が正しいとしても、その写真があるがゆえに、素直に本文の内容を信じていいのか、判別がつかないからです。取り違えだの忙しかっただの、色々仰っているようですが、普通は言い訳してもダメだと思います。何か企みがあったんじゃないか、と言われても仕方ありません。

さらに、今回投稿された論文には、そのようなすり替えの他、似たような写真を合成して、別の意味合いを持った写真を生み出した(偽造)痕跡もありました。報告書の作業風景写真に、Photoshopなどを用いて合成したものを用い、ウソの脚注を付けてしまったのと同じです。仮に本文の中身が正しくても、載ってる写真にそのような加工があったら、内容が正しいかどうかは判断できません。正直に言えば、こういう写真があった場合、普通は「内容も間違っているんじゃないか」と疑ってかかるでしょう。

ただ、内容が間違っていること自体は問題ではありません。仮にその後の議論や、知見の深化の結果、その論文の主張が偽であると合意されても、論文の写真に改竄がなければ、それは科学論文として成立するのです。何故なら、そこには議論する余地があり、その議論の結果、偽であると合意できるからです。むしろ、科学の発展は、その「否定」の繰り返しによってなされてきたと言ってもいいくらいです。しかし、掲載された写真が疑わしい場合には、これまで述べてきたように、その合意が取れません。カール・ポパーの反証可能性、という考え方を科学の世界では採用していますが、この反証主義的立場においては「主張の真偽何れかの合意を取ることができない」ことが、内容の真偽以前に問題なのです。

次に2つ目の話、再現性に関するものを見ていくのですが、その前に、言葉のニュアンスについて確認しておかなければなりません。この問題を語るとき、僕らは気軽に「STAP細胞が存在する、しない」と言います。しかし、この「細胞の存在」という言葉のニュアンスが、科学者と一般の方では、若干異なっているのです。というより、その食い違いがあるからこそ「記者会見ではちゃんとあると言っているのに、なぜ理研や科学者はその発言を信用しないのか」という意見が出てきてしまったように思います。このニュアンスの問題こそ、巧妙に利用され、かつ、今回の問題をややこしくしている要因なのでしょう。研究者による「細胞の存在」という言い回しは、単純に細胞の有無を尋ねる話ではないのです。

科学者が「〜は存在する」と発言する、今回であれば「STAP細胞が存在する」と発言する場合、そのもの自体の存在の有無は、さほど重要な意味を持っていません。むしろ、誰しも論文同様の手順を踏めば、その現象を再現することができる、もしくは、天体やタンパク質の構造等の発見であれば、同様の操作でその天体、およびタンパク質構造を確認できる、あるいは、その構造に基づいた論理が展開できる、という、再現手順込みでの存在、いわゆる「再現性がある」という意味を含ませて、この言葉を使います。言い変えれば、そのもの自体の存在というよりは、そのものを生み出せる、もしくは再度確認できる手順、現象そのものの有無に、話の焦点が当てられているのです。今回の論文であれば「物理的刺激によって簡単に初期化が起こる」という報告自体が重要で、それを「STAP細胞と名付けた」とか「自分の元にある」というのは、ある意味おまけのハナシなのです。だから、この論文の真偽を問うべき部分は「論文に載せた手順を踏めば、物理的刺激によって簡単に細胞が初期化する」というところです。「STAP細胞の有無」は、それによって自動的に確かめられるので、あえて着目する必要がないのです。

あの論文は、まさしく衝撃的でした。最初に知ったときは興奮しましたよ。もし細胞の初期化が物理的な刺激によって行えるのであれば、また、T細胞レセプターの初期化が起こっているのであれば、この細胞群に基づいた実験を行うことで、細胞分化メカニズムの超重要な知見が得られたり、免疫のメカニズムがより詳しく判明し、免疫医療の道が急速に発達したりすることなどが予想されるからです。再生医療に関しては、iPS細胞の研究がかなり進んでいるので何とも言えませんが、細胞分化のメカニズムの解明というのは、生物系の研究者にとって、非常に面白い話題だろうと思います。しかも、論文によれば、比較的簡単に初期化された細胞を制作できるのだから、実験にも使いやすい…。

しかし、論文に載った手順、また、理研が突如発表した手順を踏んでも、世界中の多くの科学者は、細胞の初期化の再現に失敗しました。日本国内でも、関西学院大学の関先生が再現実験を行っていましたが、こちらも良い傾向は見られなかったそうです。しかも、論文に載っていた手順には、他の論文からコピペをしたような痕跡がありました(現在では入手不可能な機材を使用していたり、文章がかなり似通っている論文が発見されたり、その論文でKClと表記しているところが、KC1となっていたりなど、正直割とお粗末な痕跡なのですが…)。つまり、この論文の示す手順には「再現性」がない可能性が高く、また、その再現手順も、コピペ等で無理矢理ひねり出したようにしか見えない状態なのです。従って、そのような状況を知った科学者は、あの論文は間違っているという意味を込めて「STAP細胞はないだろう」と口にするのです。

もちろん、本当に再現出来る手順があるのかもしれませんが、少なくともそれは論文内には記載されておらず、未だに発表もされていません。ちなみに、STAP細胞の作成には1週間程度かかるそうですが、会見では、200回近く再現を成功させた、と仰っていました。1週間(7日)× 200回だとすると、実験には1400日、およそ4年かかるのです。彼女は4年間、再現実験をし続けたのでしょうか。書いているだけでアタマがクラクラします…。

閑話休題。実践の場なら、一言「ブツはあります」でいいんです。いわゆる「うちにしかない技術」だの「うちでしか作れないブツ」だのというのは、その貴重性そのものが重要なのだから、それで物事が上手く進むのなら全然構わないわけです。しかし、それは科学の土俵でやるべきことではありません。大勢の人による「再現」も、はたまた「論理に基づいた真偽の判断」も全く出来ないようなことを、科学のフリをして議論したり、記者会見という政治的な場で、「STAP細胞はあります」と宣言し、科学の営みを誤解させ、あたかも自分の方が正しいと思わせようとしたりするのは、やっぱりルール違反です。科学に携わる人たちは今や、STAP細胞の有無(再現できる、という意味ですよ)よりも、そちらの方を問題視しているように思います(あとは雇用とか広報とか、問題は色々あるようですが)。

記者会見の後、彼女に同情する声もあったようです。ですが、そのようなことをしても、これまで話してきたような、根本的な問題は何一つ解決されません。むしろ、その根本的な問題、科学の本質を犯すようなやり方を、より強めているようにすら見えます。同情や自身の思いで、真偽を捩じ曲げてしまうのは、やはり科学者としてやってはいけないことです。これを認めるならば、僕を含め、今後の日本の科学者にとって、大きな痛手になるだろうと思います。同時に、日本の科学教育のあり方を考えざるを得ない、そういう出来事でもあると思います。

今現在、科学が万人に開かれ、ある程度の信頼を得られているのは、最初に述べたように、「再現性を担保する」ことと「真偽の判断は、出来る限り主観に頼らず、論理や今までの知見に基づいて行う」ことの、2つの約束を疎かにしなかったからです。内部にいろいろな問題があることを否定はしませんが、そこが、科学が科学足り得る点で、競争や実践とは違う点だと、僕は思います。ところが、今まで述べたように、今回の問題では、この2つの約束が反古にされてしまった。言うなれば、科学が科学たり得るための決まりが無視されてしまった。あの会見での「STAP細胞はあります」という発言は、今まで述べてきたように、科学のあり方から言えば、ほとんど意味のない発言にすぎません。いくら口頭でその存在を主張しても、そこには「再現性」がないからです。そして、彼女の論文の画像については、彼女がいくら言い訳をしても、そもそも論文としては失格なのです。むしろ寛容な扱いをされていると言われてもいいくらいだと思います。

色々書いてきましたが、最後に、つい先日、2本の論文のうち、1本の撤回を認めたとの報道がありました。一方理研側が不正を認定した方の論文は、まだ撤回されておりません。そして、政治的な面まで含めた真相が、明らかになったとも思えません。これから科学に携わろうとする1人の学生として、この問題は注意深く見守っていきたいと思っています。
posted by ものラボ at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 佐々木 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月10日

「ものづくり教育」を教える

お久しぶりです。宮田です。

高山のワークショップの準備や一般参加者の受け入れが本格化してきています。
特に、夏休みはかなり多くの活動が入りそうな気配です。

最近は、「参加者が楽しくアイディアを出しながら、楽しくそれを実現する」ことをどうやってサポートできるか、について、スタッフが集まって楽しく(時には苦しく?)アイディアを出し合っています。
昨年度は、3Dプリンター以外にも、ピタゴラ装置、電子工作、紙飛行機などなど手を広げたので、今年度はそれらをより洗練・発展させながら、新しい活動にも足を踏み込んでいこうと考えています。

また、ものラボには相変わらず「いつもの」メンバーが残っていますが、そろそろ新しいスタッフも来てくれると思います。
そうすると今度は、新しいスタッフへの「ものづくり研修」も必要になってきます。
自分がそれなりに楽しめるからといって、人に教えられるとは限りません。
「「参加者にものづくりを教えるコツ」をスタッフに教える」にはどうすればよいのか。
どうやら、「ものづくり(自分がものを作ること)」と「ものづくり教育(人にものの作り方を教えること)」と「ものづくり教育の教育(人にものの作り方を教えるにはどうしたらいいかを教えること)」を分けて考える必要がありそうです。


宮田

posted by ものラボ at 08:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 宮田 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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